「読者の声」に(ブログ3798)
- 2025年01月07日
ここ10年以上の官僚の劣化について、今日の道新「読者の声」に投稿された札幌市中央区のH氏の文章「役人、熱い気持ちを忘れずに」は、その本質を鋭く指摘した内容となっており、国の全ての官僚、そして地方自治体に身を置く公務員と呼ばれる方々は、自らの日々の公務がこのような考えで行われていたか、少なくても振り返るべきではないかと思いました。
再掲します。
<権威に寄りかかったものは自らの力を鍛えることを怠りがちになる。自己研さんを怠り、愚にもつかない会議や宴会を繰り返すだけだと、その空気の中でむしろ退化していく。
官公庁の文書改竄やチェックミスなど公的文書、資料に関する問題の露見は、「役人」の矜持の低下を示して余り有るのではないか。
安定した地位と立場、将来が保証された生活に甘んじて、自己を高め続ける意欲や仕事への誠実な取り組み姿勢を置き忘れた日常からは、社会を改革する前向きなものは生まれにくいだろう。
ましてや権力や権威への従属に甘んじているような者たちに、今の社会を改革しようとする意識は望めないはずだ。
行政に関与する人たちは真剣な姿勢で物事に取り組んで欲しい。「権力や権威が欲しいだけ」、「他人に厳しく自分に甘い」などとおもわれないよう、国民の視線に立ち、熱く強い気持ちを忘れず、問題や課題に向き合ってほしい。>
この文書にある「役人」を、私にような「議員」に当てはめて見る事も、また必要です。
一方、これまで私が経験した公務員(役人)と議員活動から見ても、最近の方々の公務に対する気概が少しずつ薄れているということも感じます。
一部の公務員は肩書きが付くと、「責任は部下に、成果は自分に」、そして常に上を見る「ヒラメ」となり、上司の間違いには意見を言わずイエスマンに徹する。公益通報(内部通報)などは、身を滅ぼすことになることから目をつむる(例=兵庫県)。事なかれ主義に徹し、住民のことは2の次で、慣例主義で問題ないと考えている。など、残念な事が浮かびます。
しかしそんな方々ばかりでは無い事も私は知っています。
誰もが、公務員を志望した時には、『国家や国民、そして都道府県や基礎自治体の住民のために役立ちたい、このような街づくりに自分も関わりたい、出来ればそのリーダーとなって作り上げたい。』と思って就職したと思います。
その大きな望みが、時が経つにつれ、組織にもまれ続けて行くのかもしれませんが、それでも、この街の将来のために、ここに住む住民の福祉向上のためにと、日々努力を重ねている公務員が大半であると私は信じています。
公務に携わるという重い責任と、そのやりがいのために激務に耐えている公務員(役人)がいる事も、ここでお伝えしておきたいと思います。