オリンピズム
- 2016年08月26日
リオ・オリンピックも終わり、テレビ番組も通常番組に戻りました。
選手達も持てる力を最大限に発揮し、私たちにベスト・パフォーマンスを見せてくれました。本当にお疲れ様でした。
このオリンピックで気になったのが、柔道の選手が銅メダルを手にしたにも関わらず、「銅メダルでスイマセンでした」とか、レスリングの選手が銀メダルを取ったにも関わらず、「取り返しのつかないことになってしまった」と自らを責めていたことです。
オリンピックの精神は『参加することに意義がある』であったはずではないでしょうか。 それとも、この言葉は今や「死語」となってしまったのでしょうか。
近代オリンピックの創始者で「近代オリンピックの父」と言われているクーベルタンは、 各種の会合でこの言葉を引用し、オリンピズム(オリンピック精神)を説いたと言われています。
その精神とは、『勝つことではなく、参加することに意義があるとは「至言」である。人生において重要なことは、成功することではなく、努力することである。根本的なことは征服したかどうかではなく、よく闘ったかどうかにある。』ということです。
「参加するだけで良いのだ、だから負けても良い」というのではなく、ひたすらに、純粋に勝つために正しく努力することに意義があるということです。
今回、オリンピックに参加した各選手は、この4年間、まさしく限界を超えるような練習に耐え、己の心身を鍛え上げて代表に選出され、そして、試合まで体調を管理し、ベストのコンディションで望む努力をされてきたと思います。
試合は水物です。必ずしもその努力が結果に結びつかないこともあるでしょう。
しかし、これまでの努力は決して無駄ではなかったはずです。
マスコミがこぞって、金メダルを煽り、国民にメダルは何個取れると先導していますが、オリンピックの栄誉は選手のものであり、国家や国民のものではりません。
そして、オリンピック憲章の精神は《オリンピック競技大会は個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない》とし、JOCも《みんなはメダルの数を国別で数えたりして、ついついオリンピックを国同士の競争のように見てしまいがちだろう? でも、オリンピックで勝利を納めた栄誉は、あくまでも選手たちのものだとオリンピック憲章では定めていて、国別のメダルランキング表の作成を禁じているんだよ》と説明しています。 →日刊ゲンダイより
私たちは、素晴らしい選手達の姿を見せてもらい感動しました。
男子50km競歩3位の荒井選手と4位になったカナダのエバン・ダンフィー選手の接触で、カナダが妨害行為であると抗議、荒井選手が一時失格となり、これに対し日本も改めて抗議、この時、カナダのエバン・ダンフィー選手が抗議を取りやめることをカナダチームに進言し、荒井選手の3位が確定。終了後にはお互いを称え合っていた姿が印象的でした。
そして、女子5000m予選では、米国のアビー・ダゴスティノ選手が、約3000m走った時点で前を走っていたニッキー・ハンブリン選手の足に触れ二人とも転倒しましたが、すぐに起き上がれずにいたアビー・ダゴスティノ選手を見たニッキー・ハンブリン選手は、走るのを止めアビーの脇を抱えて助け起こし、励ましました。
その後、逆にニッキーが足首を負傷しているのが判った時は今度はアビーがニッキーを励まし続け、足を引きずりながら最下位でゴールしたアビーは、ニッキーと抱擁を交わして車いすでトラックを去ったことが伝えられました。
この二つのことは、まさしく、オリンピズムそのものだと思います。