下北半島核銀座
- 2011年09月25日
24日~25日にかけて道南平和運動フォーラム主催の「下北ツアー」に参加をしました。
9時半の大間フェーリーに乗船、1時間40分で大間フェリーターミナルに到着、函館から望む大間より大間から望む函館の何と近いことか、すぐそこに函館山が有り、改めて大間の生活圏が函館であることを実感、そして、視線を海から街並みに移すと、フェリーターミナルの至近、すぐ目の前に工事中断中の大間原発建屋がその威容を誇っていました。
地元の五所川原市の「青森県平和推進労働組合会議・井上 浩氏」他関係者の出迎え、そして案内で大間原発建設反対の拠点である「あさ子ハウス」に向かいました。
○「あさ子ハウス」は、ご存じのように大間原発計画の炉心に当たる土地を所有していた熊谷あさ子さんが、生前から「海と土があれば人は暮らしていける」と原発予定地の土地約1万2,000ヘクタールを手放さず、あえて「あさ子ハウス」を建ててそこの住み、その結果、原燃が計画していた原発の炉心予定地を変更させたことは有名で、今は北斗市在住の娘さん小笠原さんが時折、ここに滞在し、あさ子さんの意志をつないでいます。
小高い丘陵地ですが、原燃の所有地の中にあさ子ハウスまでの道路が確保されており、小さな抵抗が大きな影響を与えていることを実感しました。
このハウスはまさしく大間原発建屋の直近で、今まで見たこともない巨大なクレーンが手持ちぶさたに乱立していましたが、今は建設凍結となっており、本体工事関係者も引き上げ、構内管理の関係者だけが常駐しているとのことでした。
また、説明者の話ですと、大間原発は冷却に海水を使わず、地下水を使用するという事も聞き、膨大な量の冷却水を地下水に頼ることにでもなれば、地下水脈や地盤沈下への影響も新たに考慮しなければならないものと思いました。
○次に向かったのが、むつ市にある建設中の「使用済み核燃料中間貯蔵施設」です。
六ヶ所村にある貯蔵プールが既に2,800トンを越え、限界に近いことからむつ市に3,000トンの貯蔵能力を有する中間貯蔵施設を建設、H24年7月に完成予定となっています。
途中、むつ市の小学校や市庁舎が有りましたがなんと立派なことか、市庁舎は建設費の内14億円を東電からということで、今も、東電におねだりが続いているとの説明を受けました。
現地に着いたのが12時を過ぎた時間だったこともあったのか、構内入り口に警備の人も居なく、勝手に中に入って、全体を見渡せる展望台(?)のような場所から工事中の現場を見学、ここからも函館の恵山がすぐ目の前であることを実感しました。
○次が東京電力、東北電力が稼働および建設中、建設予定合わせて4機の原発が並ぶはずの東通村の現地に向かいました。
さすがに道路からは森林等に阻まれて原発の建屋や建設中の工事現場は一切見えませんでしたが、バスを止めて説明を受けていると、警備会社のガードマンが複数名現れ、何をしているのかと質問をしてきました。
「景色を見ていることに何か問題でもあるのか」と返すと何も言いませんでしたが、私たちが立ち去るまで監視を続け、警戒をしていました。
福島事故後、反対派に対する警戒が強化されたとのことです。
ここ、東通村は、各電気事業者が原発立地を予定し、現在でも原発20機分の土地が確保されているとのこと。
○最後に、再処理工場を含む核燃料サイクルの拠点、六ヶ所村を訪ねました。
しかし、ここも構内に入ることはできず日本原燃株式会社本社正門前で説明を受け、見える範囲で写真撮影を行いました。
ここは、近くに三沢米空軍基地が有り、もし、ミサイル等の爆弾を抱えたままの戦闘機が墜落すれば、日本が壊滅するだけの危険性を孕んでいます。
戦争やテロがあれば、敵がここを狙うだけで日本は降伏せざるを得ないこととなります。
なぜ、リスクを分散せずに一カ所に集中したのでしょう。
今回のツアーはその施設全てを見学することはできませんでしたが、青森側から見ると道南はまさに目の前の近さであることを実感し、また、下北半島に集中された核施設の現実を肌で感じることができましたが、このことは日本が青森を足蹴にし県民を馬鹿にしているからこそできる行為であり、内務官僚や政治家が古くからないがしろにしてきた東北の辺境、そして蝦夷は日本に非ずという差別的意識が内在していたからこそできたことなのかと私自身疑念を抱くツアーともなりました。