再処理工場も頓挫?
- 2016年11月18日
原子力船「むつ」。
1968年に着工し、69年6月に進水した日本で初の、そして最後の原子力船で、74年9月1日青森県沖の太平洋上で行われた初の原子力航行試験中に放射能漏れを起こし、母港であった陸奥・大湊港への帰港を反対されたために、その後16年間にわたって日本国中をさ迷い、1993年には原子炉を撤去されてしまったわけですが、その間、約4,000億円もの無駄金を使ってしまいました。
原子力施設の多い青森県との縁の深い船でした。
そして今、青森県六ヶ所村の再処理工場が、同じように無用の長物となる運命となりそうです。
再処理工場では、この間、日本原燃によって試運転が繰り返されてきましたが、トラブルが続き、使用前検査もままならず、再処理工程の試験を除けば、高レベル放射性廃棄物(廃液)のガラス固化がうまくいかず、未だに合格する迄には至っておりません。
再処理工場の建設に2兆2,000億円もの巨費を投入していながら、20年経った今でも試運転さえ成功しておらず、2018年に本格操業開始とされていますが、操業開始はこれまで19回も延期を余儀なくされてきました。
再処理工場で処理されたプルトニウムを「もんじゅ」で増殖させ、MOX燃料として大間原発で燃料にするという壮大な計画は、もんじゅの破綻、再処理工場の頓挫で壮大な無駄になってしまうようです。
それでも計画を推し進め様としているのは、核燃サイクルを止めてしまったら、誰かが責任を取らなければならないから。
過ちを認めなければ、責任を先送りできるからの他有りません。