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判検交流

  • 2016年10月24日

 以前、「国が関わる訴訟はほとんどが国の勝訴となる。それは、高裁判事・最高裁判事の人事は、内閣の承認が必要だからだ。」とブログに書き、司法の人事に行政が関与する仕組みが三権分立を形骸化していることを指摘しましたが、この度の辺野古違法確認訴訟に対する福岡高裁那覇支部の判決に伴い、その根底に「判検交流」が有ることを指摘したジャーナリスト:渡辺 豪氏の記事を読みました。

 その概要は、「日本国憲法が三権分立を明記したことで、検察・法務省は行政、裁判所は司法に分けられた。

 つまり、検察・法務と裁判所は三権分立の異なった権力であり、相互に抑制・均衡関係が求められる。しかし、そこには抜け穴が有る。

 それが、『判検交流』制度に基づく、裁判所と検察庁・法務省の人事交流である。

 昨年10月、翁長知事が辺野古埋め立て承認取り消しについて「法廷闘争やむなし」の考え方を持ち始めたその後、国側代理人の法務省・定塚 誠訟務局長が、昨年10月に福岡高裁那覇支部の裁判長に多見谷寿郎裁判長を着任させた。

 その結果、裁判では県側が要請した8人の証人申請が全て却下され、県の主張を入り口で切り捨てて提訴からおよそ2ヶ月で、国の見解を丸写しした判決文でスピード結審となった。

 極端に狭いと言われる判事の世界で、訟務局長と裁判長は共に行政訴訟のエキスパートで両者の間に『あうんの呼吸』が働いても違和感はない。

 弁護士の荘司雅彦氏は、一般論としながら判検交流を『緊張関係を保つべき司法権と行政権の間での人事交流は、法的根拠もなく極めて不穏当。法律は立法府である国会で作られるので、極端なことを言えば、立法府を無視した司法と行政の癒着とも捉えられる』とその弊害を指摘しました。」という内容です。

 翁長知事は、この判決を『裁判所は政府の追認機関であることが明らかになった』と批判したのはご存じの通り、さらに「代替え案が模索できる案件に対し、裁判所が政治的な課題に対して断定する権限は無い。本判決は司法権逸脱判決と指摘されているが、その通りだ。」と法理上にも問題が有ると成蹊大学法科大学院の武田真一郎教授も指摘しました。

 判検交流という名の下に置かれる人事交流と内閣による判事の人事承認権により、人の子である判事の生殺与奪を国が握っているという歪さ。

 国民が国と対峙する時に、その拠り所となるべき司法が、悪名高い判検交流と内閣の司法への人事介入によって正しい判断の出来ない仕組みになっていることを是正し、本来の三権分立の態勢を求めない限り、国民は常に敗訴することになります。


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