前言は無かったことに
- 2020年03月26日
安倍晋三氏や関係大臣、そして知事などのコメントは常に自分の都合の良いように話している気がします。
安倍晋三氏は、少し前まで東京五輪の開催について「延期や中止などありえず、完全な形で開催することで、G7の理解を得た」と話していましたが、IOCが臨時理事会を開催し延期を検討していることが伝えられると、今度は「1年後の開催ということをIOCに理解していただいた。また、G20のテレビ会議でも、完全な形で1年後の開催することで賛同を得た。」と話しました。
完全な形とは、予定通りの開催ということだとアピールしていたら、今度は、「延期しても中止ではないから、完全な形での開催だ。」と言い繕います。
小池東京都知事は、トランプ大統領の1年延期発言に対し、「毎日、超弩級の変化がありますが、その言葉もあまり驚かない。」、「中止や無観客はありえない。」と話していましたが、安倍晋三氏が1年延期を口にしたら、「私もそのとおりだと考えている。」と発言しました。
また、鈴木北海道知事は緊急事態宣言を発表した時の記者会見で、記者から専門家などの意見の聴取などについて聞かれましたが、「誰にも相談することなく、私自身で決断した。そのことの政治的責任は私にある。」と話していましたが、道議会最終場面での質問に対し、「緊急事態宣言の判断は、専門家の意見などを参考にした。」と、自らの責任を薄めるような発言をしました。
最初の威勢のいい言葉とは裏腹に、都合が悪くなった時点でも何もなかったかのように前言を翻してはばからず、指摘されると屁理屈を並べて「そんなことは言っていない。」と言い訳をします。
私たちは、どの言葉を信じたらいいのでしょうか。