司法に歪められる地方自治
- 2019年10月29日
最近の司法は中央省庁と同じく忖度がはびこっているらしい。
沖縄県知事が起こした辺野古基地建設阻止のために国を相手取った訴訟で、県が敗訴しました。
辺野古基地が建設されている海底に軟弱地盤が広がっていることが発覚し、県が埋め立て承認をした過去と今では状況が大きく変化をしたことを理由に、県が埋め立て承認の撤回をした事に対し、防衛当局が国交相に対して県の措置の取り消しを求め、結果として国交相がこれを認めたことに関して県が行った「行政不服審査法」に基づく訴えでしたが、福岡高裁那覇支部は国の訴えを認め、県が敗訴してしまいました。
県の主張は①行政不服審査法は国民(私人)の権利救済を目的としており、国の機関である防衛局は審査請求できない。②防衛局と同じ内閣の一員である国交相が申し立てを審査するのは公平さを欠くことから、1審の国の手続きのみを争点に違法な請求に基づく判決を取り消すように訴えていました。
判決は①県の承認が必要な埋立法には私人と国とで扱いに異なる部分はあるが、本質において両者に違いは無い②埋め立ては閣議決定の上で進められてたからといって、閣議決定が大臣を直ちに拘束するものとは言えない。
というものです。
なぜ、防衛局と言う国の機関が私人と同じなのか、全く理解に苦しみます。
また、防衛は国の専権事項であり、辺野古は曲がりなりにも普天間米軍基地の代替えとして位置づけられています。
行政不服審査法では、こうした固有の資格を持つ国の機関は審査請求できないと定めています。
この2点を持ってしても、今回の司法の判断は国に寄り添い忖度したものと言わざるを得ません。
これは、今後にも大きく尾を引きます。
イージスアショアの設置に反対する秋田市や萩市の場合も、反対に対する国の強硬姿勢が明らかになり、予断を許しません。
仮にこのような事が続けば国と地方の対等・協力関係をうたった地方分権改革法は形骸化し、併せて行政不服審査法、そして、国と地方の係争処理委員会も、ただ有るだけで無意味なものとなってしまいます。
司法が毅然とした判決を行わないのであれば、司法の信頼は自ら失うことに鳴ってしまいます。