墓じまいとお寺
- 2022年08月22日
昨日は、パソコンに不都合が生じてブログを掲載することが出来ませんでした。お詫び致します。何とか解消しましたので、今日付から再開します。
旧盆も終わり、我が家も妻の実家の墓参りに行きましたが、ずーっと悩んでいたことがあります。妻の実家の墓じまいです。
そんなときに8月6日の道新で、「公営 お手頃 墓じまい不要」という特集で、公営合葬墓の事が掲載されていました。
そして、21日の道新に「合葬墓整備 悩む自治体~想定越す需要・寺側は檀家失う懸念」という記事が掲載されていました。
私にも、「函館市で公営の合葬墓を設置して欲しい」という要望を話された方もいたことから、今後は、子ども達に墓守を依存すること無く、安心して終活に向かいたいという要望は強くなるものと思います。
19日は我が家の月命日で、高龍寺さんから担当のお坊さんが来て我が家の仏壇のお参りをして貰っており、私の家の過去帳と妻が長女と言うこともあり妻の家の過去帳を我が家に預かっていることから、2冊の過去帳に記されている祖先の戒名を唱えていただいています。
我が家は長男がいますし、孫にも長男がいますが、いつまで仏壇を継承出来るのか、いつまで月命日を営むことが出来るのかも、定かではありません。
新聞記事で多くの家でも同じような悩みを抱えているということ改めて知ることが出来ましたが、親子関係もあり、子ども達からは話しづらい話題だと言うことも分かります。
しかし、少子化で無宗教の方も増えていることから、西暦538年の仏教伝来以来連綿と続いていた檀家と菩提寺の関係が衰退してきていることも現実の問題で、一方で今後はお寺を維持することも大変だろうとは思います。
かといって、日本の伝統的な仏教文化や宗教としての仏教が、失われていくことに目をつぶることはなかなか出来ませんが、「何か良い方法は」、と問われても私自身答えを持ち得ず、単に墓守や月命日の問題だけに矮小化することも出来ない問題です。
昨日も、知り合いの通夜に行ってきましたが、故人は鹿部に住んでいながらお葬式は南茅部のお寺が営みました。人口の少ない地域ではお寺が無くなっていることも目の当たりにしました。
悩ましい問題で、何が正しいと言う答えは無いのかも知れませんが、避けては通れないのも確かです。