尊厳死の制度化(ブログ3738)
- 2024年11月08日
22年に上映された映画が有ります。「PLAN75」という映画です。
この映画については、過去のブログでも触れましたが、<少子高齢化が進んだ近未来の日本。高齢者の医療や介護に関わる費用が若い世代に押しつけられていることから、満75歳になったら自らの生死の選択権を与える制度「プラン75」が国会に提案され、国民には様々な議論がありましたが、超高齢化問題の解決策として世論は受け入れ議案が可決成立してしまいました。
主人公の倍賞智恵子は78歳、夫に先立たれ、有る日高齢を理由にホテルの客室清掃の仕事を突然解雇されてしまいます。住む場所も失いそうになり身内のいない彼女は「プラン75」の申請を検討し始めます。
市役所の「プラン75」若い担当者は「死」を進め、その日を迎えるまでサービスするコールセンターのスタッフは、その制度に疑問を抱えていく>という内容です。
近年、障害者施設殺傷事件の加害者が「障がい者は社会の役に立っていない」として犯行を実行したことがとてもショッキングでしたが、人の人生を生産性で判断し、役に立たない人間は生きていても価値がないとする考え方は一定程度社会にも浸透している気がします。
秋田魁新聞によると、<今回の衆議院選挙前に行われた討論会で、国民民主党の玉木雄一郎代表は「社会保障の保険料を下げるために、高齢者医療・終末医療の見直しに踏み込み、『尊厳死の制度化』も含めて、医療給付を押さえ、若い人の社会保証料を抑える事が消費を活性化させる。」発言しました。
この文脈では、尊厳死を社会保障費の抑制と消費対策に結びつけたと捉えられても仕方が無い。>と掲載していました。
今回の衆議院選挙における国民民主党の政策パンフレットP4には、「社会保証料の軽減」として、「公費投入増による後期高齢者医療制度に関する現役世代の負担軽減」とあり、P12には「働き方改革・医療改革」の項目に「尊厳死の法制化を含めた終末期医療の見直し」ときっちり書かれています。
人生100年と言われている現代ですが、余裕を持って余生を過ごされる方々の谷間で、生きている意味を失うほどの環境に身を置いている高齢者も相当数おられるでしょう。
「PLAN75」の映画のように社会保障費の削減のために尊厳死の制度化を現実化しようとする公党が、今回の選挙で躍進しました。
折しも、近未来の2040年、AIやロボットに仕事を奪われた人たちが増え貧富の差が拡大し、個人自らの意思で「自由死」として合法化された社会の中で死を選ぶ姿を描く、平野啓一郎氏の長編小説「本心(文藝春秋)」が映画化され、今日から全国で公開されます。
私たちの望むのは、そのような社会では無く、尊厳を持って生きていける社会を築くことではないのでしょうか。