年金制度に思う
- 2019年06月19日
年金問題の話がアチコチでされるようになり、年金に対して関心が高まっていくことは良いことだなあと思う反面、正確な知識となると複雑で、専門家で無ければそのその全体像や制度について知りうるのは至難の業だと思います。
例えば、「100年安心年金」という言葉は、国民の側からすると「100歳まで安心して生活が出来る年金が支給される」と受け止め、政府の側からすると「今後、100年間は原資となる年金基金が維持され、年金制度が担保される」ということになります。
受け止め方にこれだけの差違が生じるのは、政府が年金のことをしっかりと説明できていないからだと思います。
よく「年金は親の世代への仕送り」と表現され、現役が納付している年金保険料は高齢者への給付に回す「賦課方式」であるとされています。
確かに、個人による「積み立て方式」ではなく「賦課方式」ですが、それは基礎年金部分(一階部分)に当てはまる制度であり、厚生年金や共済年金(二階建て部分)は会社や役所に勤めている方が雇用主と折半で納付しているものですから、この部分は積み立て方式と言うことになり、親の世代への仕送りでは無く自分のための備えと言う事になります。 さて、年金制度が100年維持されるようにと、政府はマクロ経済スライドを導入し、物価や賃金が上がっても必ずしも年金に反映させず、逆に賃金や物価が下がると年金支給率も下げると言う事を取り入れ、将来の年金受給者が現役時代の平均賃金の50%を確保出来るようにという仕組みを導入しました。
年金は人それぞれで違う、ということも理解しますが、その前に大切な事があります。
憲法第25条は「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定し、生存権を担保していますし、そのために生活保護制度があるのです。
国民年金受給者は、月に7万円程度の支給しか無く、これでは生活することができませんし、無年金者も少ない数ではありません。
一人一人に寄り添う社会、年金についても一人一人が安心できる、そういう制度であるべきなのはその論を待たないところだろうと思います。