意識の差を感じる
- 2013年05月28日
先般、民間のDVシェルターの総会に出席しました。
総会の開会にあたって代表からの挨拶が有りましたが、その中の話で少し驚いたことがありましたので、一部引用させていただきます。
「先日、教職を目指す大学生にデートDVのお話をさせていただき、その時に、橋下大阪市長の従軍慰安婦発言について、学生達に感想を聞きましたら、男子学生からは、“本音を話したことを評価する”と肯定的な意見が有り、女子学生の中にも“そういう人たちが身代わりになってくれれば、私たちは安全だから良いのではないか”との意見が有り、唖然とした。」というものです。
皆さんはどのように受け止められるでしょうか。
社会においては、本音で話したくても話せない事の方が圧倒的に多く、本音を話せばいざこざを招き、話さなければほとんどの事は円滑に進む場合が多いのです。
時として、本音をぶつけ合うことも必要ですが、それは、その内容に該当する当事者がいて、その当事者を傷つけることがあれば、その責任を持つ覚悟なしには、言うべきでは有りません。
従軍慰安婦発言に対し、本音を話したことは良いことだというのであれば、その男子学生も橋下市長と同じ責任を共有すべきだと思います。
また、女子学生のように、私以外の人が身代わりになってくれるのであればかまわないという考えは、女子学生が逆の立場になった場合、「身代わりになってくれたんだ」と、誰もが気にかけなくてもかまわないということなのです。それで良いのでしょうか。自分だけ良ければ良いという発想は、孤立を生むだけだと思います。
これが、今時の若い方々の意見です。
全てがこのような意見とは思いませんが、これらの方が将来教職に就き、子ども達を教育するということです。
意識の差を感じつつ、少なからず不安を抱いたお話でした。