我が世の春
- 2014年06月11日
今回の通常国会において初めての党首討論が行われました。
普段はあまり時間が無く、国会中継を見ることが少ないのですが、今回は集団的自衛権がその討論の中心となることから、注目して中継を見ていました。
海江田代表が「個別に出された例示が個別的自衛権で対処できないのであれば、憲法改正をして集団的自衛権を盛り込むのが憲政の常道であり、国民の考えが反映されない閣議決定という手法で解釈改憲をするべきでは無いのではないか。」、「具体の例示でも自衛隊員の犠牲が伴うことが想定されるが、このことについてどのよう思われるか」などの根本的なことを聞いても、直接答えず、朗々と持論を展開するだけで、テレビを見ている私(国民)には全く理解ができませんでした。
なぜ、憲法改正では無く、閣議による解釈変更だけで良いのか、論理的に説明もせず「国民を守る」という抽象的な理由一点張りで押し通そうとしている姿は「言論の府」である国会と、真剣に国の安全保障を考えている国民を愚弄しているとしか映りません。
先般、元総務大臣の片山善博氏の講演を聞きましたが、その中で「G7での首脳会議での演説で、中国を念頭に“自由と民主主義、法の支配、基本的人権を守り、力による現状変更は許されない”と演説したが、これをやろうとしているのが安倍政権ではないのか。」と話されました。
まさにそのとおりで、特定秘密保護法で国民の言論の自由を奪い、少数の意見を大事にする民主主義をないがしろにし、新たな法の支配によって国民の教育や福祉を切り捨て、憲法が否定をする集団的自衛権を力による現状変更で行使しようとしています。
まさに、交際舞台においても薄っぺらな言葉を羅列するだけのアベチャン総理は「今が我が世の春」まさしく、藤原道長の「この世をば 我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」のように、この世のものは全て自分のためにあるようなものだと思っているのかもしれませんが、望月(満月)はいずれ欠けてしまいます。そして、その栄華は春の夜の夢のように終わってしまうことを知るべきです。