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抵抗を薄める

  • 2015年02月11日

 憲法改正に向けて、まず国民の抵抗が少ないものから「じわじわ」と改憲券を進めようとする動きが活発になっています。

 これは、集団的自衛権の行使を、まずは内閣法制局長の首のすげ替えから始め、9条の政府見解を骨抜きにし、国会議論を避けて閣議決定から始めた手法、いわゆる麻生副総理の「ヒトラーが行ったドイツのワイマール憲法の形骸化を模倣し、国民が気づかないうちにいつの間にか憲法が変わったと言う手法をとるべきだ」との方法を、ここでも二匹目のドジョウのように繰り返そうとしています。

 菅官房長官は「環境がこれだけ世界の中で重要視されている中で、環境権が無いのは事実。必要な事から考えていく。」と言っていますが、果たして、環境権が無いことが憲法改正をしなければならないことに結びつくのでしょうか。

 憲法には第13条で「個人の尊重と公共の福祉:すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする。」

 ここには、生命に関する権利、及び幸福を追求する権利が規定されています。

 憲法第25条1項では「全ての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

 ここには、健康に関する権利が規定されています。

 そのことを実践するために内閣には環境省が設置されており、主管業務としては地球環境保全、公害の防止、自然環境の保護及び整備などを任務としています。

 当然その遂行のために種々の法律が制定されていますが、不備があれば幾らでも新しい法律で国民の環境権を満たすことが出来るはずです。

 あえて、環境権を持ち出すには、前述したよいに、まず国民の抵抗の少ないものを取り上げて憲法改正の抵抗を薄めるという魂胆があることを見抜かなければなりません。


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