背景

ブログ月別アーカイブ

ブログ

>>前のページへ戻る

核のゴミの責任

  • 2020年10月19日

 昨日の道新「読者の欄」に、この度の高レベル放射性廃棄物最終処分場選定に係る文献調査について、お二人からのご意見が掲載されていました。

 A氏は、<私は原発に反対の立場だが、13日の読者の欄に、「泊原発を抱える北海道が最終処分場に関して反対の立場を取っていることが理解できない」と主張されている方の意見に承服できない、そもそも原発を造ったときから核のゴミの処理が難しい事は分かっていたはずなのに、国や電力会社は「原発は安全」と私たちを欺いておきながら、今になって核のゴミの処理はあたかも電力利用者の責任というのは見当違いではないか。

 核のゴミは電力会社が丁寧に責任を持って管理し続ける、現時点ではこれ以外の方法は無いと考える。>との考えを示されていますが、

 B氏は、<私は原発廃止論者だが、現実には原発のある北海道で暮らし、原発が発電する電気を使って生活をしてきた。その恩恵に浴してきた者は皆で考えるべきで、まずは、既存原発を廃止し、その結果として電力が不足する事に国民は耐えなければならない。  その上で、核のゴミの処理は国や地方自治体が総力を挙げて取り組むべきだ。

 鈴木知事も「核のゴミは受け入れ難い」と道の条例を盾にとっていますが、今ある核のゴミをどうするつもりなのでしょう。道と道議会は今後の取り組みについて真剣に検討すべきです。>と、受け入れも視野に入れた考えを示されました。

 道議会の議論は、極論を言うと「自治体には自治権が有り、寿都町と神恵内村の考えを尊重するべきである。」と考える方と、「同条例の『受け入れ難い』。」は宣言条例であることから、『受け入れない』と条例改正をすべきだ。」という考えです。

 自治体には当然自治権があります、だからといって広域自治体である道の条例は道内全ての自治体を対象にしたものであり、無視していいものではありません。

 そのことは、自治体の首長であれば十分に理解しておく必要があります。

 また、条例改正は以前にも書いたように諸場の刃になるでしょう。議会勢力が大きく関係しますが、『受け入れについては慎重に検討すべき』と改正するだけで、受け入れを可能としてしまいます。

 そして今の条例は、いつまでも盾になるものではありません。

 一方、現実的に核のゴミが存在する事に対し目をつむる訳にもいきません。

 知事は、「北海道は全国でただ一カ所『幌延核廃棄物深地層研究センター』を受け入れ、すでに国の核廃棄物最終処分に協力をしている。」との認識を示しています。

 設置当時は色々議論が有りましたが、今になれば、この施設は原発を有する北海道として、一つの責任の取り方であるとの考えも成り立つかもしれません。

 しかし、今は稼働していませんが現に泊原発内には使用済み核燃料が燃料プールに冷却保存されています。

 フクシマ原発事故以降、泊原発の稼働は止まっていますので、2012年度の電気事業連合会の資料となりますが、保存量400トン、プールの空き容量1000トン、残許容量600トンとなっています。

 ただ一カ所の自治体が全国全ての核のゴミを受け入れるのでは無く、これまでも主張してきたように、原発を有する電気事業者それぞれが電気を配送する事業エリア内に一カ所、緊急時には取り出し可能な貯蔵施設を設置し、核のゴミに対して責任を持つ、50年か100年間という一定の間保管し、その間に放射能の低減や無害化の技術が開発されるか、されない場合は更に施設をその時代の技術の粋を集めて再建設する、このことを繰り返すしかないのではないでしょうか。その頃には既存の原発も廃炉しなければならず解体も現実の問題となります。

 原発が発電した電気を使ったのは私たちですが、国策として原発を推し進め、それに乗じて利益を享受した電気事業者が、そのトイレの始末を全てみんなの責任だと言うのは、あまりに都合の良い押しつけではないでしょうか。


Copyright(C)高橋とおる後援会 All Rights Reserved.