沖縄出張
- 2019年11月22日
沖縄に出張していましたので、ブログが休止してしまい申し訳ありませんでした。
過日火災で焼失した首里城は、相変わらず観光客が多く訪れていましたが、守礼の門をくぐっても中には入れず、遠目に焼けてしまった首里城の一部が見えるだけで、その姿にいたたまれない感情を覚えました。
辺野古のテント村には、全国各地から応援の方々が訪れており、工事の現状などの説明を受け、遠くで大型クレーンが稼働している状況を目の当たりにしました。
辺野古埋め立て現地であるキャンプシュワブのゲート前では、テントを張って抗議のための看視を行っている方々に激励の挨拶をさせていただきました。
その後、ゲートを通過するコンクリートミキサー車およそ30台の搬入をスムーズに行うため民間の警備員が幾十にもガードする前に、反対する住民の方々が座り込み、その方々の前に機動隊が出動、やがてコンクリートミキサー車が来ると、機動隊が、「搬入の支障になるので、解散するように」とマイクでアリバイ的に促し、その後は一人ずつ「ごぼう抜き」で排除していました。
反対派の方々はお互いの腕を組み、辺野古基地建設反対の替え歌を歌いながら抵抗しましたが、それも解除され、ものの10分ほどでゲートが開けられ、次から次にミキサー車が入っていきました。
車を置いた駐車場の後ろにある小高い丘の先では、米軍の演習が行われており機関銃や砲撃の音が常に響いていました。
沖縄戦激戦地であった「嘉数(かかず)高台公園」では、今でも日本軍が使用した「トーチカ」があり、この地で戦った全国各地の慰霊碑の前には千羽鶴も。
この高台公園からは普天間基地が一望でき、まさしく普天間基地の周りは那覇市・浦添市の市街地があり、ヘリが墜落した沖縄国際大学、部品が落下した小学校や幼稚園に囲まれている基地であることが一目瞭然、訪れた時もひっきりなしにオスプレイやCH型ヘリなどが離着陸していました。
視察後、県庁を訪れ、クルーズ船を主体とした観光振興、早い段階でIRに頼らない沖縄リゾート観光戦略を打ち出した経過などについて、予定時間を大きく超えて意見交換を行った後、新里沖縄県議会議長を表敬訪問、首里城再建基金への寄付を手渡し、玉城デニー知事の県政運営などについても懇談させていただきました。