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沖縄復帰50年

  • 2022年05月15日

 今日5月15日は沖縄返還から50年目となります。

 新聞各紙は沖縄が置かれていたこの50年を振り返った特集や社説などを掲載しています。そして各社に共通するのは、今に至っても沖縄は沖縄のままで、日米間の犠牲になっているという現実です。

 戦後、天皇制を維持していく代償として施政権を米国に渡したときから、沖縄の悲劇は始まりました。いや、太平洋戦争で沖縄が捨て石にされたときからかも知れません。

 1972年、佐藤内閣の下での沖縄返還も、佐藤氏が自分の任期中に沖縄返還を功績としたいというこだわりから、返還交渉は米国に足下を見られた中で進められ、国民には公表できない多くの密約を交わしました。

 米軍に依る基地の自由使用を認め、屈辱的な日米地位協定を結び、思いやり予算として米軍基地に関わる費用の負担を約束し、核の持ち込みまで黙認をするなど、米国に言うことと国民に報告する内容はまさしく佐藤氏及び自民党の二枚舌で、米国の高官も日本政府の表の言葉と裏の言葉を承知で交渉を有利に運びました。

 この沖縄返還交渉で、沖縄の主権は占領されていた時と何も変わらず、いやその後の50年間は、沖縄の希望は一つも叶えられず、主権さえも日本政府に抑え込まれたまま経過し、平和な島は米軍の世界戦略のために使用されることになりました。

 国内の米軍基地が返還される度に沖縄の基地は増え続け、今は普天間基地の代替えとして辺野古の基地建設が進められています。

 この50年は何だったのか、そしてこれからの沖縄の50年は少しでも県民の描く沖縄に近づくのか、ナゼ日本政府は、そして日本人(ヤマトンチュー)は沖縄を同じ日本として大事にしないのか。

 今も、台湾有事に備えてという理由で、奄美や宮古、馬毛島に自衛隊の基地が建設されています。

 考えたく有りませんが、米中の台湾をめぐるバランスが崩れて交戦状態に入れば日本は集団的自衛権(米国への支援)を行使するために参戦することになります。

 その場合、沖縄県146万人の県民は何処に逃げればいいのか、また沖縄を犠牲にするのか。

 それを避けるため日本を戦争をしない国にすることは、私たちに課せられた最低限の使命では無いのでしょうか。


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