沖縄県の巨星落つ
- 2018年08月12日
沖縄県知事で、普天間基地の辺野古移設に反対する沖縄県民の総意を受け、国と真っ向から対峙してきた「翁長雄志氏」が8日、志し半ば67歳で他界されました。
故人のこれまでの取り組みに敬意と感謝を表し、心からのご冥福をお祈りいたします。
私は、翁長知事は、国が強行に推し進めている辺野古基地建設の「犠牲者」となってしまったのではないか思います。
「沖縄の基地問題に与党も野党もない」と言い続け、知事選に勝利してからは、国に対して辺野古基地建設反対の具体的な行動が始まりました。
知事としての権限を盾に、司法に訴え、県民と共に沖縄の置かれた現状の打開に奔走、しかし、国は辺野古地区へ地域振興の名目で金をばらまいたの初め、ヘリパッドの工事を強行し、機動隊は県民に対し「土人」発言を含めた暴言を浴びせ、辺野古沿岸の埋め立て工事では、海上保安庁を出動させて海上での抗議行動を暴力で制するなど、県民の総意を国の権力で押しつぶしてきました。
その間、米軍軍属による事件は後を絶たず、基地に配備されたオスプレイやヘリの事故が多発、まさしく辺野古基地反対運動中も県民感情を逆撫でする事が起きている関わらず、
国も防衛省も、米軍にいわれるままとなっていました。
その間、これら全ての事案について知事として毅然に立ち向かいました。休むことなく。
疲労が蓄積していたでしょう。沖縄県のトップとして、様々な判断も求められました。
結果、国からの圧力等のプレッシャーやストレスも相当のものだったと思います。
病気が翁長知事の身体を蝕み始めたのは、そういう心身状態が常に翁長知事を苛んでいたからかも知れません。
膵臓ガンの診断がされた時のご本人のショックは並大抵の事ではなかったであろうと思います。
単に自分の余命だけではなく、沖縄県の将来に思いを馳せた時、知事として最後の手法である、前知事が行った「辺野古沿岸部の埋め立て承認」を撤回する決断をすること、そして、何としても「沖縄のアイデンティティー」を守り抜くことこそが自らの使命であり、そのことを貫き通すことが出来なくなってしまうのではないかという、政治家として知事としての責任も病気によって果たすことが出来ないかも知れないという思いが大きなショックとなったはずです。
一方、療養についても、手術でのガン部位切除も難しかったのではないかと想像します。
既にステージが相当進んでいたで有ろう事は、私も同じガン患者であったことから容易に推測できますし、膵臓ガンは手術が非常に難しい臓器であることも周知のとおりです。
それでも一縷の望みを手術に託し、退院後も気丈に承認撤回の決意を明らかにしてきました。
今、翁長知事を失ったことは、沖縄にとって大きな損失であり、沖縄の今後にも大きな変化をもたらすことになるかも知れません。
県民と私たちは基地反対の大きな支柱を失ってしまいました。
しかし、相手がほくそ笑むのは、ほんの一時であることを知らしめ(認識させ)なければなりません。
知事選は9月中に行なわれます。早急に候補を擁立して翁長知事の思いを遂げる結果を出そうではありませんか。