無理な言い訳
- 2020年11月29日
村井宮城県知事が女川原発2号機再稼働を判断した折に、記者会見で安全性を問われ、「原発がある以上、事故が起こる可能性はある。事故があったから(原発が)ダメであれば、全ての乗り物も食べ物も事故が起きた経験から否定される。福島の事故を教訓として、技術革新を目指すべきだ。」と持論を展開しました。
また、NUMOの近藤理事長は、最終処分場に関する北海道新聞のインタビューで、「技術的な安全性は確立されていると思うか。」という問いに対し、「何をもって確立とするか。自動車だって事故は起こる。永遠に確立しない中で安全性を高めていくことが大事ではないか。」と答えました。
双方が主張したいのは、「100%安全なものなど無いのだから、事故が起こらないように努力すべきだ。反対の方々は100%の安全を担保せよと主張するが、それは無理である。」ということなのでしよう。
しかし、事故が起こりうる可能性があるのであれば、被害を最小限に抑える手立てを講じなければ説得力を持ちません。
そして、その責任は設置事業者や設置を判断した首長に求められます。
女川原発は、以前のブログでも指摘しましたが、UPZ(原発から30km)圏内の住民は約20万人にも及び、非難するための主要道路は、11年の震災時には津波で冠水し、昨年の台風19号では同じく冠水や土砂崩れが相次ぎ、女川町の一部が約17時間にわたって孤立しましたし、幹線道路である国道398号は、片側1車線で、曲がりくねった道路となっており、県は、人口の多い石巻市では人口の9割が避難先に到着するまで最長5日間以上かかると推計しています。また、離島の住民約570人は船で石巻港や女川港に非難する計画となっていますが、石巻市は訓練さえも行っておらず、住民の多くは避難計画は「机上の空論」との意識が強く、不安を解消するものとはなっておりません。
村井知事は、事故はありうると認識しているならば、事故時に十分な対応が可能な避難計画を住民に示し理解を得るべきですが、残念ながら、そこは後回しの様です。
そのことは、NUMOの近藤理事長にも通じることで、寿都町や神恵内村の住民が事故時に一人残さず避難させることが可能な避難計画を、この文献調査を行う2年間の間に示すべきです。
「全ての乗り物も事故が起きる」と言われますが、だからこそ人は自分で乗り物を選択するのです。飛行機事故が気になる方は列車など他の方法での移動を選択するでしょう。
「全ての食べ物も事故がある」ならば、自分の体調などを考えあわせて事故の無いように腐敗していない食品を、また、消費期限も考慮して選択するでしょう。
しかし、原発事故や核廃棄物の危険は、そこに住んでいる以上、回避できない事象なのではないでしょうか。また、乗り物や食べ物のように自分に被害が及ばないように選択できるものでもありません。
「さすれば、そこから転居すればよい」とするのは、乱暴な投げかけです。
住民はすでにその地域に生活基盤を持っていますが、原発も最終処分場も後からその地域に来るいわば新参者です。
後から来るものは、先に住んでいる方に迷惑をかけないことが肝要です。
全ての乗り物とか全ての食べ物を、原発および最終処分場を一緒にすることにこそ、無理がある言い訳としか受け取れません。