犠牲は常に過疎地か(ブログ3533)
- 2024年04月04日
「万が一の時に受ける人口集団の(被爆)線量をできるだけ低くすることが重要。そのために(原発建設地は)人口密集地を避けている。」1996年、政府の原子力委員会が開いた原子力政策円卓会議において、伊原義徳委員長代理が発言した言葉です。
政府の「原発建設の適地選定についての指針」に沿った発言ですが、当時も「過疎地は都会の犠牲になれということか。」と反対の声が上がりました。
そして今、全国の原発立地地域は見事に過疎地ばかりで有り、そこに落とされる原発立地交付金は、自治体に取って止めることの出来ない麻薬となっています。
嫌な施設を押しつけたという理由の「慰謝料」か、それとも「見舞金」か。
人口密集地の大都会は、原発のリスクから遠く離れ、東京電力・中部電力・関西電力などは東京・名古屋、大阪以外に原発を建設し、その恩恵を享受しています。
福島民報が実施した除染廃棄物(放射線を浴びた土砂等)の受け入れに関し、全国の知事に「自らの都道府県内での最終処分場の建設受け入れへの賛否」を尋ねたアンケートで、大都市圏の東京都・神奈川県知事は無回答、愛知県知事は「国の責任で対応すべき問題」、大阪府知事は「国から自治体に具体的に示されていないため回答を控える」とのことです。
つまり、いつまで経ってもその恩恵を受けている地域にとって、原発のリスクは他人事なのです。
大阪は、維新の代表だった松井知事(市長)が「最終処分場は大阪が引き受ける」などと大ボラを吹きましたが、相変わらず維新は「言うだけ大将」でしかありませんでした。
結局、除染廃棄物も使用済み核燃料も高レベル放射線廃棄物も、原発立地地域の問題に矮小化されて、国内全体の問題にはなっていませんし、政府もその通りです。
北海道議会では、高レベル放射性廃棄物の最終処分場に関して、自民党会派が「原発立地県としての責任がある。」と主張し、暗に「概要調査へ進むべき」と述べていますが、ムチャクチャな主張だと思います。
100万歩譲って、原発立地県に責任があるのなら、原発を有する青森県、宮城県、茨城県、新潟県、石川県、福井県、静岡県、島根県、愛媛県、佐賀県、鹿児島県の責任を、なぜ政権与党として問わないのか不思議です。
また、「科学的特性マップ」で適正とされている自治体は、全国の沿岸地に多くありますが、そこに対しても無言のままです。
全く説得力の持たない議論と、無関心な政府と自治体。
つまり、1996年に伊原氏が発言した言葉は、30年近く経ても何も変わらないということ。そして、「トイレ無きマンション」に今後も突き進む政府。
ツケはいつまで経っても過疎地なのでしょうか。