社会人として政治に参加を
- 2022年06月21日
成人式を迎えると、必ずと言っていいほど聞かれるのが「社会の一員となった自覚を持って行動して欲しい。」というものです。
これは、人生の先輩の、「これまでは、未成年の領域に置かれ擁護されて来たが、これからは大人として扱われることになると同時に、社会を形成する一員としての責任を追うことになることを自覚すべし」という思いが込められている言葉です。
言い換えれば、大人になるということは、自分だけ良ければいいという「子供的利己」から、自分は社会のために何が出来るかという「社会的利他」を考える立場になるということです。
会社に入っても、「責任の伴う業務には就きたくない、言われたことだけをやっていれば楽だ。」と考える人が多くなってきたと、管理職の人たちは悩んでいます。
「役職に就けばそこに責任が付いてくるから出世はしたくない。定時に帰って好きな事に時間を使いたい。仕事の付き合いは避けたい。」これでは、自分が籍を置く会社に未来はありません。
同じように、「政治は誰がやっても同じだから興味が無い。」、「投票に行く時間より自分のために使う時間を大切にしたい。」、「自分の1票が社会を変えるとは考えづらい。」などと考え、政治に参加することに消極的になっている方が多くなっています。
しかし、自らの存在が、日本の経済・文化・教育など全ての社会環境に深く関与している社会人であることは避けられない事実であり、そしてそれらの在り方を決めるのが政治で有ることはその論を待ちません。
個人の幸せも、家庭の和も、子供の未来も、よりよいものにするためには政治をより良いものにすることで実現します。
「1人では何も変わらない。」のではなく、1人が始めなければ何も始まりません。
自分一人くらいは関係ない、という考え方が蔓延すれば問題は何も解決されません。
その一歩が、投票です。
近年、選挙のたびに投票率が低下しています。
投票行為を行わない方は、民主主義にも参加していないことになります。
民主主義に参加しないということは、専制主義をも受け入れるということに繋がります。
違うでしょうか。
戦後、1時期を除いて実質的な自民党1党独裁政権が続いていますが、その結果が、先進国でありながら、後進国にも信頼されない、自国民をも幸せに出来ない日本という国なのです。
為政者が国会で118回も嘘をつき、憲法を侵し、法を曲げる事が平然と行われている日本は、徐々に専制に近づいているのではないでしょうか。
選挙権を持つ全ての国民が社会人としての自覚を持ち、冷静な目で民主主義を行使するという事を怠るならば、日本はいずれ民主主義というオブラートに包まれた専制主義国家になってしまうでしょう。
そしてその責任は、社会人全てが負うことになります。