終戦から75年
- 2020年08月15日
戦後75年、4分の3世紀という時間が経過しました。
第二次世界大戦で犠牲になられた国内約310万人、アジア太平洋地域約2000万人の人々は心から哀悼の意を表します。
今年の夏は、コロナウィルスが未だに猛威を振るっている中で迎えました。
多くの国民が、政府による抜本的なコロナ対策を望んでいますが、残念ながら政府は自治体に丸投げし、国としてコロナ収束の対策を打つ姿は全く見えず、安倍総理も西村コロナ担当大臣も国民の前から姿を消したかのようです。
アベノマスクに約500億円を投じましたが、街の中を見ても誰もアベノマスクをしている方はおりません。
日本の企業が開発したリアルタイムPCR検査機器は、日本の厚労省が認可せずにフランスに輸出され連日フランスの国民のために使用されています。
この機器は高度な技術を必要とせず1日50人以上の検査が可能な機器で、1台1,500万円、アベノマスク500億円では約3,300台購入でき、1,741自治体に1カ所2台設置できることになります。
フルに活用すると1日165,000人の検査が可能となりますが、未だに厚労省はこの機器を認可せず、政府も無駄なところにお金をかけています。
この間、イージスアショアの配備が断念に追い込まれました。その経費は2、000億円とも3,000億円とも言われていますが、それを医療に振り向けるどころか逆に政府・自民党は「敵基地攻撃能力」を保有することに血道を挙げています。
敵基地攻撃能力は事実上の先制攻撃であり、国際法違反です。
これまで、「攻撃的兵器を保有することは自衛のための最低限度の範囲を超えている事になり、いかなる場合も許されない」とされていましたが、野党が求めている臨時国会を開かないまま、事実上の検討に入ってしまいました。
なぜ、平和を求めながら攻撃型兵器を手に入れようとするのでしょうか。
政府が常に口にするのは「我が国を取りまく安全保障環境が大きく変化している。」そのために日米軍事同盟を拡大・強化しようとしています。
安全保障環境が変化しているならば、軍備では無く政治によって緊張を和らげることが求められますが、今の安倍政権には、八百屋さんに魚を求めるようなものかもしれません
8月6日、そして9日に開催された広島・長崎の原爆式典での安倍総理の式辞は、その93%が全くのコピペであり、被爆者団体から「馬鹿にしている」と怒りを買いました。 式典後に行われた被爆者団体との懇談会でも、国連で2017年に採択された「核兵器禁止条約」への批准・署名を求められましたが、唯一の被爆国にもかかわらず安倍総理は「核抑止力」を理由に否定的な返答を返し、「唯一の被爆国として核保有国と非保有国の架け橋になる」と話しましたが、タダの言葉だけである事は誰にも明らかで、ここでも「何をしにここに来たのか、何処の国の総理大臣なのか」と非難を浴びました。
日本世論調査による8月発表の調査では、核兵器禁止条約に参加すべきと言う国民の声は72%にものぼっています。
国難とも呼べるコロナ対策では、有効な対策を打つこと無く引きこもったままの安倍総理、放射性物質を多量に含んだ「黒い雨」を浴び、健康障害に苦しみながら、これまで「被爆者」と認められなかった事に対する訴訟で、広島地裁が原告全員を「被爆者」と認める判決を出しました。被告である広島県と広島市が控訴をしないように国に働きかけましたが、被爆者援護法の実施主体である国は、訴訟への補助参加の立場にありながら県と市に圧力をかけ、控訴する決定をしました。
長年苦しんできた被爆者に対して寄り添うどころか、控訴して更に時間をかけるという仕打ちをしたのです。
国民に対して、このような態度を取る政権は、当然アジアの方々に対しても反省の立場には立ちません。
25年前、戦後50年の節目の年の「村山談話」は侵略と植民地支配の問題を前面に出し、諸国民に多大な損害と苦痛を与えたことを再認識し、謝罪を表明、歴代の総理はその内容を踏襲してきましたが、安倍政権は、意識的に意図的に植民地支配、占領地支配についてほとんど取り上げずに来ました。
今、香港では中国本土の「国家安全維持法」による民主主義の危機が大きな問題になっていますが、香港が英国統治隣租借された後、日本は第二次世界大戦で中国本土だけでは無く香港に攻め入り、英国を排除して占領し、略奪や強姦などを行い終戦まで香港を植民地化してきました。
戦後、英国に租借期間が戻され、1997年に中国に戻され、その後50年間は1国2制度が維持される事が国際的な約束事でしたが、中国はその約束を守ること無く1国1制度に戻そうとしています。
香港を植民地化してきた歴史がある日本は、積極的に香港の民主化に力を注ぐべきでは無いでしょうか。
戦後75年、今日は、私たちの苦しい時代を振り返るだけでは無く、我が国が行ってきた加害の事実にも目を向けて、真の平和を語る日にして行かなければなりません。