茶番の原爆資料館視察(ブログ3227)
- 2023年05月24日
先日のブログでは、原爆資料館を視察したG7各国の首脳の視察内容は非公開、そしてその後の記者会見も開かなかったことについて、<バイデン氏は「米国民の代表として、敵国の国民に想像を絶する被害をもたらしたその実相を目のあたりにするのは、心が大きく揺さぶられ正義とは何かというと言うことを突きつけられる可能性が有るからでしょう。」そして他の核保有国の首脳達は、「自国で核保有の必要性を訴えている首脳達にとって、その核兵器がどのように悲惨な兵器かということを知った後に、その感想を問われる記者会見を行うことは、核保有国のリーダーとしての立場と自身の中に存在する「人間の尊厳」との葛藤が起こることで、的確なコメントは出来ない事になるであろう事は想像に難くありません。したがって 今回のサミットにおける原爆資料館の視察には核保有国が難色を示し、直前まで調整が必要だったようです。」と記載させていただきました。
しかし、その後の真相を知るにつれて、何と感傷的な甘い考えだったのかと反省しきりです。
原爆資料館を視察するその時も、バイデン氏の側には常に「核のボタン」が携行されていました。何と言うことなのでしょう。これほど、日本を広島を長崎を、そして原爆被爆者を侮辱する行為は人として考えられません。
そして、G7首脳達が見たのは、ふるい分けされた展示物だったようです。これは、米国の注文らしく、<「核のボタン」を預かっているバイデン大統領に迷いが生じるのを周りが嫌がった>からのようで、逆に言うと原爆による被害の実相は、核のボタンを持っている超大国の元首さえも恐れておののき、ひるんでしまう程の影響力があったということになります。
G7の首脳達は、せっかくの機会を得ながら広島のことは何も見なかったことになり、岸田氏は、せっかく広島でサミットを開催しながら、原爆被爆者の苦悩を首脳達に伝えなかったことになりました。これは茶番以外のなにものでもありません。
それが、サーロ節子さんの言葉に表れています。「核抑止と言って、自分の核は許し、対立する国の核兵器を非難する事は許されない。広島サミットは失敗だ。」まさしく、その通りであり、何も決められなかった、何の誇るべき成果も上げられなかったサミットで、これでは、これからのサミットには何も期待するものは無く、ただただ形骸化していくスタートの様なショータイムだったと思います。