記憶に無い
- 2017年07月22日
「記憶に無い」。昔から都合が悪くなると使うのが、この言葉です。
森友問題、加計問題、南スーダン日報問題、ここでも「記憶に無い」という言葉が乱用されています。
これらの問題の関係者はそんなに記憶力の低い方々なのでしょうか。
経産省、文科省、内閣府、防衛省の上級官僚は、ほとんどが東大法学部出身者でその記憶力を駆使して過酷な受験戦争をくぐり抜けてきた猛者ばかりではないかと思います。
ましてや、政治家は支持者の顔と名前を記憶することが求められ、自分の発した言葉には責任がついて回りますから、よくよく覚えてい無ければなりません。
これまでの国会を振り返ってみますと、ロッキード事件の小佐野氏から「記憶に無い」という言葉が使われたような気がしますし、それから国会において都合が悪くなると使われるようになりました。
「記憶に無い」とは、一方で、何かの拍子で思い出すかも知れないということになりますから、後々申し開きが出来なくなった場面で「思い出しました」と言い直せば良いことにもなります。
一般的にも、人の記憶というものは曖昧なものと言われているとおりで、そのことを巧みに利用した絶妙な言葉「記憶に無い」。
永田町界隈(国会周辺)では、「記憶に無い」=「覚えているということ」、従って、「記憶にない」とは、私は嘘を言っていますと白状するようなものだと言われています。