警察関係者を憂う
- 2017年06月01日
共謀罪がいよいよ危なくなってきました。
1昨日から始まった参議院法務委員会、1昨日は4時間の審議でしたが、相変わらず、問われたことに具体的な答弁をすることなく、一般論の答弁に終始し、金田大臣が手を挙げれば安倍晋三が隣で制し、また、手を挙げれば隣の副大臣に手を下ろされる、やっと答弁に立ったかと思えば、「それは具体的なことなので刑事局長に答弁させます。」との発言。
国民が十分に理解するよりも、まず所管大臣が法案を理解して欲しいと思うのは私だけでは無いと思います。
そして与党は、「この位の審議を後4回ほど行えばそれでチョンだ。」とうそぶいています。粗雑な審議に、共謀罪がもたらすこの国の暗黒時代を憂うしか有りません。
さて、仮定で申し訳ありませんが、仮にこの法案が通った場合、国民の警察への対応に大きな変化が現れるだろうと思います。
常に監視される側に立つ国民は、極力警察とは関わりたくないという意識が働くのではないでしょうか。
例えば、これまで捜査に協力して俗に言う「聞き込み」などに答えていましたが、これからは捜査関係者が来ても、うかつに捜査に協力出来なくなってしまいます。
なぜか?、自分に関係ないと思っていた情報提供が、実は自分が目標とされているかも知れないし、ふとした言葉が自分の所属する団体や、仲間に影響するかもしれません。
捜査関係者は巧みに近づいてきて、情報を得ようとします。
また、警察関係の家族も辛い目に遭うかも知れません。
「あの人のご主人は警察の方だ」とわかれば、ママ友や奥さん達の付き合いにも溝が出来てしまう事が危惧されます。
ナゼならば、「あの人の旦那は警察に勤務しているから、よけいな事は話すんじゃあない。」、「何を疑われるかも知れないから、家族の事や親戚のことも話すんじゃあない。」と家族から言われるでしょう。
子ども達も、「お前のお父さんは警察か?」と、いきなり、仲間はずれにされてしまうかもしれないのです。
これまで、自分たちの安全を守ってくれていた頼りになる警察が、共謀罪を境に自分たちを監視する存在となるからです。
こんな事が杞憂であれば良いと思いつつ、心配にもなってきます。
警察官になることが国民から軽蔑される事になってはいけないと思います。
これまでの法律で、テロは対応できると多くの法律の専門家は訴えています。
であれば、警察関係者もこの法案に反対する方が良いのかもしれません。