責任を伴わない責任
- 2019年11月04日
責任とは何だろう。
安倍晋三氏の言葉を聞くと、全く薄っぺらに感じ、言葉がその意味を否定しているように思えます。
いつものことですが、今回の改造内閣発足2ヶ月で二人の閣僚が辞任した際に発した言葉もいつもように「任命責任を感じる」というものです。
内閣の最高責任者は安倍晋三氏です。「責任」というのは、自らが引き受けて行わなければならない任務であり、従って、今回は安倍晋三氏自身がその責任を負う立場に有る事案であり、辞任する閣僚とともに自身も辞任するということが、責任をとるということではないでしょうか。それだけ内閣総理大臣というのは重い職務です。
それが、単に「責任を感じる」という言葉だけで行動が伴わないのは、感じただけで責任は終了すると考えているだけに過ぎず、彼は幼稚な大人だということです。
この内閣は同じように、自ら進める又は判断した政策が失敗すると「遺憾である」という言葉を乱発します。
しかし、この「遺憾」には謝罪の意味は含まれません。
単に「残念だと思うこと」がその本来に意味ですから、記者会見などで「非」を認めざるを得ない場合は、「申し訳ありませんでした」と頭を下げるべきです。
自らの責任をうやむやにして、「遺憾」と言う言葉に謝罪まで背負わせていまうのは、都合のいい使い方ではないでしょうか。
国の最高責任者が、「責任」や「遺憾」を乱発し、そのの本来の意味を全うしない。
おかげで国民の多くは、「責任」や「遺憾」を取り違えて認識することになります。
それが経済界にも浸透してしまい、企業責任は形骸化しています。
この7年間を見ると、内閣総辞職や総理辞任と言うべき事案は枚挙にいとまがありませんでした。
そして、これからも責任を伴わない「責任」という言葉が何回もこの方の口から聞くことになるのでしょう。