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避難計画(ブログ3777)

  • 2024年12月17日

 宮城県女川町と石巻市に立地する東北電力「女川原発」の運転差止請求控訴審判決が仙台高裁で示されました。

 倉澤守春裁判長は、原告住民の訴えを却下し、避難計画に絞られた訴訟で残念な結果となってしまいました。

 女川原発の避難計画に対する原告側の主張は、①予定されている非難退域時の検査場所は実際に開設できないか、開設しても継続できない②自家用車と並ぶ避難手段であるバスの確保や配備も出来ないため避難できず、原発から概ね5km~30km圏内にあり、屋内退避などの防護措置を実施するUPZ内に閉じ込められる。と具体的な問題を提起して「避難計画として実効性がない」ことを指摘しました。

 それに対し、裁判長は、「いかなる態様の事故にも完全に対応出来る防護策ないし地域防災の策定は求められていない。」、「住民側が、避難計画の定める措置が防護の効果をあげられない旨を主張するならば、避難計画では対処できない事象が発生する具体的な蓋然性を主張立証すべきであるが、本件においては、そのような主張立証もされていない」と述べ、原告側の住民達の訴えを却下しました。

 しかし、私たちは、能登半島で起きた現実を目の当たりにしてしまいました。

 石川県では、志賀原発の避難計画があったはずですが、原発事故が無くてもあの有様です。ましてや複合災害があったらと想像するだけで、身の毛もよだちます。

 裁判長は、「いかなる態様の事故にも完全に対応出来る防護策など無い。」と言い切りましたが、それは、「原発事故における犠牲は当然だ」と言っているに等しいと思います。

 これが法の下に正義を示す裁判官の判断なのか、そこには高潔などという言葉は全く当てはまりません。

こうなれば、住民側が避難計画の不備を具体的に積み重ねていかなければなりません。

 翻って、泊原発の避難計画は、どこまでの完成度を持っているのでしょうか。

 事は、住民の命が関わる避難計画です。そして、道民の命と暮らしを預かっている知事の判断はどうなるのか。これまで、多くの質問に対し、「原発は安全が第一。」と話し、その後の言葉は発していない知事。知事が思い描いている安全は、この裁判長のように「原発事故における犠牲は当然」と考えていないことを願うばかりです。


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