高浜原発差し止めに思う
- 2016年03月10日
関西電力の高浜原発3、4号機の再稼働差し止め請求に対する大津地裁判決が昨日出されました。
判決の骨子は、
①関西電力は高浜原発3、4号機を運転してはならない。
②発電の効率性を甚大な災禍と引き替えには出来ない。
③フクシマ原発事故を踏まえた過酷事故対策や耐震基準策定、津波対策や避難計画に疑問が残る。
④自治体ごとではなく国主導で事故時の避難計画を策定すべきだ。
⑤住民の人格権侵害の恐れが高いが、関電は安全性の確保の説明を尽くしていない。
というものです。
高浜原発は、これまで地元福井県の住民が訴訟を起こし、地元の福井地裁で15年4月に「運転差し止め」仮処分判決が出され、不服とした関西電力が異議申し立てを行い、同じく15年12月には「運転差し止め決定取り消し」が決定、それに対し住民側が処分の取り消しを不服として抗告しており、今はその審理が行われています。
一方、今回の訴訟は、高浜原発立地県である福井県の隣で原発から約70km離れた滋賀県の住民が起こした訴訟に対し大津地裁が判決を下したもので、仮処分決定後すぐに効力を発し、高浜原発は運転停止に追い込まれました。
この判決に対し、関電は到底承服はできないと異議申し立てを行うことになります。
原発の訴訟は、最近の傾向としてフクシマ原発事故以来、国の方針に逆らうことをしない司法が、大飯原発の福井地裁判決のように住民側に立った判決を行う事が出始め、国民の司法への信頼が回復されてきたかのように思えてきますし、こうした判決が積み重なることに大きな意義を感じますが、そう楽観ばかりはできません。
なぜなら、このような判決の後には必ず電力側に有利な判決が下されるのが常だからで、北陸電力滋賀原発も金沢地裁において運転停止を命じましたが06年に逆転敗訴、昨年の大飯原発運転差し止め訴訟での福井地裁判決を行った樋口裁判長は家裁への左遷。
今は新たな裁判長の手元で控訴審が行われています。
まさしく、「国や原子力ムラに逆らうと痛い目を見るぞ」とばかりの露骨な人事です。
以前、同じくブログ(ブログ440、14年5月21日)で書かせていただきましたが、 その一部を再掲します。
【・・・そして、私たちに大きな力を与えてくれた福井地裁樋口裁判長の良識的な判断に敬意を表します。
しかし、私たちはもう一方で今後の取り組みに対し冷静に対処しなければなりません。
これまでの裁判例を見ても上級審になれば必ずと言って良いほど一審判決の取り消しや却下がなされ、住民訴訟の限界を思い知らされるからです。
これは、上級審になればなるほど政府の決定に逆らわない結論を導く判事が多くなるからで、その原因の一つとして私が考えるには、彼らも人の子、一般的に出世はしたいし、国に逆らってまで左遷されたくないと思うだろうということです。
法曹界は裁判官、検察官、弁護士の法曹三者で構成されています。
この内裁判官は、司法修習終了後、判事補となり10年を経過して判事として単独事案に関わる裁判官となります。
上級審の高等裁判所判事は最高裁の指名を受け内閣が任命、高等裁判所長官は内閣が任命し天皇が認証、最高裁判所判事も内閣が任命し天皇が認証、最高裁長官は内閣が指名し天皇が任命することになりますので、いわゆる高等裁判所からはその人事に内閣が関与することになり、出世をしたければ、いや、上級裁判所や時の内閣からにらまれたくなければ、内閣の意に沿う判決を出すことはあり得ると、いや大いに有ると思います。
中には正義心や良心に基づき判断をする判事もいますが、それは極一部であり、これまでの公害訴訟や国を相手にした様々な訴訟は、いくつかの例外を除いていづれも政府側の勝訴となっています。
その最たる例が今話題の砂川事件で、地裁で無罪となったことから意図的に高裁を経ないようにして最高裁で有罪判決を言い渡しました。
私たちは、福井地裁での勝利に浮かれること無く、各地の地裁で現在争そっている各訴訟団が全国ネットワークを築き、反原発のうねりを全国に広げ、裁判所もその声を無視できなくなるよう、そして、抑えきれなくなるように取り組まなければなりません。
そして、私もその一翼を担って行きたいと思います。】
そして、このことは辺野古問題においても同じ事が言えるということです。
その証拠に、安倍晋三は和解と同時に「辺野古への移設が唯一の選択肢であるとの国の考え方に何ら変わりはない」と断言していることを見れば明らかです。
和解という行為で参議院選を前にした県民のガス抜きを行い、翁長知事には「国と県はお互いに裁判所の決定に従う」と言わせました。
これは、司法が明らかに国側の判決を出すという自信に他ならないからです。
この国は本当に「三権分立」が確立されているのでしょうか。
だとすれば、司法における人事制度のあり方を変え、政府という行政が司法の人事に関与出来ない仕組みにしなければなりません。
今回の原発判決によって、今後も正義を貫く裁判官が出てくることを大いに期待し、改めて、司法の有るべき姿を皆さんと考えていかなければと思います。