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73回目の夏

  • 2018年08月06日

 今年も73回目の暑い夏が訪れました。

 8時から広島平和祈念公園で「広島平和祈念式典」が挙行され、世界からも85カ国が参加したようです。

 昨年、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)にノーベル平和賞が贈られ、その受賞記念のスピーチでは被爆者である「サーロー節子さん」が、世界中に核兵器の非人道性と、1日も早い核兵器の廃絶に向けた取り組みを行うべきことを訴えました。

 しかし、年が明けた今年、国連で協議をされた「核兵器禁止条約」に日本は反対をしてしまったのです。

 その理由が、「日本は米国の核の傘の中にいること、核保有国と非保有国との溝を深めることになること、日本はこの両者の橋渡し役を行うこと」ということです。

 ここにも、世界に通用しない日本独特の理屈を並べています。

 「核の傘の中にいれば、核の攻撃を受けない」ということは現実的に日本は「核兵器」を容認していることになりますし、毎年、自ら国連総会に「核兵器廃絶決議案」を提出し、採択されてきているにも関わらず「核兵器禁止条約」に反対することが、保有国と非保有国の溝を埋めることに繋がる行為だとは理解が出来ません。

 また、橋渡し役と言うことですが、この73年間、核保有国に対しどのように核廃絶に向けた働きかけをしてきたのか、まったく分かりません。

 客観的に述べるならば、唯一の被爆国であるにも関わらず核兵器廃絶のため国際的に有効な手だてを行わず、アリバイ的な行為だけにとどめてきたというのが感想です。

 「核兵器禁止条約」の第1条は、参加国の法的義務を規定し、核兵器その他の核起爆装置の開発、実験、生産、製造、取得、保有、貯蔵、移譲、受領、使用、威嚇を禁じ、他の締約国に対して、禁止されている活動を行う事につき援助、推奨、勧誘も禁じており、第17条では、この条約の有効期間を無期限としています。

 核兵器は意図的であれ、偶発的であれ一度使用してしまえば、世界中を巻き込んだ取り返しのつかない事態を招くことは、一部の方々を除く世界の常識となっています。

 73回目の夏を迎えますが、真に核兵器のない世界はいつ訪れるのでしょうか。

 まず、日本が米国の核の傘から脱却して核兵器禁止条約を批准し、言動一致で世界平和を訴える国にならなければと改めて思います。


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